首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

空薫【日暮里@京成本線 山手線 京浜東北線 常磐線 日暮里・舎人ライナー】

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まめ大福(粒あん):190円


谷中の『空薫』で売られる「まめ大福」は、
薄いビニールで包まれ店先に並ぶ。
光の反射をぬって伺える姿からは、
表に浮き出た黒い豆の姿が良く見える。

先ずはその薄衣を剥ごうと、
そっと「まめ大福」を摘まみ上げる。
小ぶりな割に意外と重たい。
ズシリと確かな荷重が指に掛かり、
中で「まめ大福」がソワソワ動き、
薄いビニールをパリパリと鳴らす。
そっと裏返してビニールを取り払い、
ゴロンと転がり出た所を受け止める。

半球体に近い姿の「まめ大福」は、
大きさが約50㎜と小ぶりな出来上がりだ。
しかしそこに込められた全ての素材が、
躍動感に溢れ「まめ大福」を形成する。
餅の上に散らばる赤エンドウ豆は、
表面に浮き出ては黒々した光沢を露わにし、
餅の中に沈み込んだなら影を淡く映す。
それらが集団を形成するように、
餅の上で寄り合い文様を描き上げる。

その上を覆う片栗粉は全体では薄いが、
豆の周りでは白が濃くなり流動線を描き出す。
それは「まめ大福」の表面を、
赤エンドウ豆が移動する軌跡の様に見える。
一方でそこから離れた場所の片栗粉は、
まるでハドレー循環の様な軌跡となり、
図らずも「まめ大福」上にカルマン渦を作る。

それら現象の足場となる餅は、
薄い灰色できめが細かい。
薄い琺瑯が掛けられた様な質感の上に、
舞い落ちた片栗粉の細かい光沢が散る。
そのまま芯を挿せば炎が燈りそうだ。
とはいえ触れれば餅は当然柔らかく、
しっとり滑らかく指先を包む。
その先に潜む餡子の感触は結構硬い。
餡子と餅から生じる質感の違いは、
天体上の大気圏と地殻の関係を思わせる。
確かな芯を持つ「まめ大福」は、
少しの圧力は跳ね返す位の強度があり、
今も指の間で初対面時の姿を保っている。

齧り付くと餅は緩やかに弾み、
押し潰そうとする力を受け止める。
そして中に潜む密度の高い塊と、
唇の間で伸されて薄くなる。
そこから更に力を加えると、
モリモリ塊を掻き分けて沈下を始める。
やがてトンネルを掘り進む様な感触の中、
ブリッと「まめ大福」は分断され、
伸びきった餅が前歯で千切られる。
この感覚は半生菓子を噛む感覚に近く、
水気が少なく密度が高い事を連想させる。

事実ゴロンと口に収まった「まめ大福」からは、
ネットリ絡み付く質感の餡子は現れない。
その代わりに濃厚なアズキの風味と、
ほのかで上品な甘さがフワッと漂い出す。
舌にポツポツ当たる丸い感触に促され、
舌にペタンと乗った餅を押し潰す。
するとボコッと崩れる様な感触の跡に、
優しい甘さがモッタリと餅を覆い始める。
ソレをモッタモッタと揉み始めると、
動きに合わせてアズキの風味が吹き上がる。
確かに水気は少ないが結束は強く、
しっかした口当たりと食感がある。
それひとつが個の様に纏まり躍動する中で、
細かいアズキの皮が引っ切り無しに舌を掻く。


しばらくすると餡子は水気を得て、
ネットリ強い粘りを発揮して餅と絡まる。
柔軟ではあるがコシが強い餅は、
引っ張ると少し伸びるだけで直ぐに千切れ、
そして噛み続けるとほのかに甘さが滲み出す。

また、餅が餡子と入り混じる中で、
サクサク潰れる丸い塊が何度も現れる。
そこから漂う素朴な味わいが、
控え目な餡子の甘さに輪郭を与える。
コクのある赤エンドウ豆の味わいは、
時折正体を現して甘さの中を駆け抜ける。

加えて餅から発せられる米の風味が、
アズキの濃い風味を一層引き立たせる。
それら全ての素材が伸び縮みを繰り返し、
小分けにされ次々喉を通過してゆく。
そして見る見るうちに小さくなった塊は、
遂に優しい甘さたけを残して、
全てが胃の中へ消えて行ったのだった。

人通りが絶える事が無い有名商店街の、
喧騒から逃れた片隅で出会える、
こだわりの「まめ大福」である。
その小ぶりな姿の中から想像できない程の、
濃縮された「豆大福」が味わえる。
つまり「豆大福」をギュッと圧縮したら、
『空薫』の「まめ大福」になった。
そんな考えに至たらせる路地裏の逸品である。



空薫(ソラダキ)
東京都台東区谷中3-11-12
11:00~18:00
月・火・水曜 定休(加えて不定休あり)
西口を出たら左へ進み、御殿坂を越えて谷中ぎんざへ入る。ゆうやけだんだんを下りて左手にある2本目の路地の奥。目印の看板アリ。

梅園 浅草本店【浅草@東京メトロ銀座線 都営地下鉄浅草線】

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豆大福(つぶあん):216円


浅草の甘味専門店『梅園』にも、
もちろん「豆大福」は売られている。
パリパリのビニールで包まれたソレは、
厳重に閉じた中に悠々と納まっている。

表面は意外にデコボコしているが、
それが全て豆の仕業では無さそうである。
何せ全体を真っ白な片栗粉を纏って、
豆から餅まで容赦なく覆い隠している。
多少片栗粉が剥がれた所があって、
黒い影が浮かんでいるのが見えても、
それが豆なのか餡子なのか判断しかねる。

ビニールを剥がすために手に取り、
持ち上げてみると意外に重たい。
ズシリと密度のある重みが指に掛かり、
ビニールが尖り指の腹に食い込む。
そっと裏返して慎重に剥がすと、
片栗粉が舞う中「豆大福」は解放される。
平地に降り立った姿は丸座布団の様で、
大きさは大体60㎜位に仕上がっている。

じかに見るとやはり片栗粉は分厚く、
製造過程の跡がハッキリ判る程である。
枯山水の様な筋が幾つも走る表面には、
青味が掛った影が淡く浮かんでいる。
表面のゴツゴツも片栗粉の下に、
わずかに黒いシルエットが浮かぶ事で、
ああ赤エンドウ豆なのかと判断できる。
起伏に富んだ「豆大福」の表面にあって、
庭石の役割となってアクセントを生む。
加えて餅の本来の色味や肌ツヤも見えて、
雪の様な透明感に薄い亜麻色が差す。
その明るい色味が片栗粉の白の中で、
より有機的で艶やかな印象を与える。

摘まんでみると片栗粉が束で崩れる中で、
餅がブリンと震える弾力を発揮する。
指先に触れた感じはとても柔らかで、
包み込む様な緩さがシットリ伝わる。
しかしハリが強いので大きは変形は無く、
当初の姿を何時までも保ちながら、
指の間でひたすら重力に反抗し続ける。

そこからゆっくり口へ運ぶと、
「豆大福」を押し潰す唇を片栗粉が覆う。
その奥で分厚い皮の様な餅が、
弾力以上のハリを発揮して立ちはだかる。
さらに押し込むと餅は潰されずに、
「豆大福」全体が扁平し始め、
あわせて片栗粉が一斉に剥がれ落ちる。
次に歯を立てて餅に切り込むと、
ブチリと小さな音を発てて餅が千切れ、
ゴロンと「豆大福」の半身が転がり込む。

すると直ぐに餅はハリを取り戻し、
口の中で噛み口が広がり始める。
餅の断面は色が濃く灰色が強い。
その中には外から想像できない程、
沢山の赤エンドウ豆が入っている。
厚さはそれ程ではないが、
この濃い色味が弾力の源なのか、
独特の風味を伴ってシットリ輝きを放つ。

やがて一斉に噴き出すアズキの風味と、
粘度の高い餡子が舌の上へ投げ出される。
触れた所からは確かな甘さが広がり、
一気に舌の上に広がり覆い尽くす。
急ぎ餅を咀嚼すると強靭な弾力を発揮し、
中に残った餡子を残らず押し出す。
一瞬で味覚と嗅覚を支配した餡子は、
必死にもがく舌の上で緩やかに伸びた後、
弾み続ける餅に絡まり更に柔らさを得る。

一方、餅の中に潜む赤エンドウ豆は、
優しい食感を伝えながら次々潰れて出す。
弾力があって食感が優しい赤エンドウ豆は、
表面にタップリ皺が出来ている。
ソレをグニッと押し潰した中からは、
ほんのり漂う塩気と素朴な豆の風味、
それにまろやかな甘さがじんわり滲み出る。

今まで豆があった所には次々餡子が入り込み、
その水気で餅の結束へ干渉しはじめる。
やがて柔らかさが極に達した場所から、
次々に餅は千切れて遂には細切れになる。
それが餡子の中に漂いながら、
口の中をスルスル回遊し始めると、
遂には善哉を彷彿させる口当たりになる。
しばらくの間、舌に染み込む餡子の甘さと、
鼻腔を抜けるアズキの風味に身を浸す。
やがて堪らず飲み込もうとする欲求に従い、
コクリと喉を鳴らして「豆大福」を飲む。

その後も濃厚に漂う餡子の甘さと風味が、
少しも変わる事無く能力を発揮し続けている。
さすが創業一六〇余年を誇る老舗の味は、
正しく歴史が紡ぎだし和の伝統食である。



梅園 浅草本店
東京都台東区浅草1-31-12
10:00~20:00
水曜 定休 月2回不定休
1番出口から雷門へ向かい、仲見世通り左手に沿って伸びる小路を進んだ先。

和菓子司 磯崎家【穴守稲荷@京急空港線】

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豆大福(つぶあん):150円


穴守稲荷『磯崎家』の「豆大福」は、
ビニール袋に大きく“福”と記された、
自他ともに認める“福菓”である。
その“福”の合間からチラチラと、
「豆大福」の白と黒が見え隠れしている。

先ずは全体を見る為に、
袋から取り出す事を始める。
そっと手に取った「豆大福」は、
ビニール越しでも大変柔らかい。
十分な重さが指先にのしかかり、
餅がビニールごと包み込んでくる。
とはいえ袋に餅が貼り付く事も無く、
サワサワ滑らかに納まっている。
なので袋の口を下に向けてしまえば、
スルスル滑り降りて外に出てくる。

それを受け止め改めて観察すると、
大きさ約58㎜のほぼ半球体である。
繭玉の様な外見は白く滑らかで、
毛羽立ったり落ち窪んだりと、
造形の荒々しい所はほとんどない。
裾に少しダブついた所もあるが、
それは餅の柔らかさの証だろう。

表面の片栗粉には淡い模様があり、
それがぼんやり立体的な質感を生む。
加えて周りの光を反射しては、
表面に細かい煌めきを纏わせる。
餅自体の色味は少し灰色掛かり、
水気を感じさせる潤いも湛えている。
一方、片栗粉の白い輝きは餅に染みて、
もはや「豆大福」全体に広がっている。
なので表面に射す灰色が、
餅の色なのか片栗粉の影なのか、
少し見た位では見分ける事が出来ない。

その白に点々と散る赤エンドウ豆は、
「豆大福」の表面に幾つも小山を作る。
餅を押し上げる黒く丸い姿は、
磨りガラス越しで見ている感覚に近い。
とはいえその感覚を作るのは、
赤エンドウ豆が盛り上げる餅ではない。
当然全体に及ぶ片栗粉の白い光沢が、
赤エンドウ豆の色を淡くするのだろう。

指で摘まんだ餅はやはり柔らかい。
新雪の様に窪んで指先をとらえ、
そのまま優しく纏わりついてくる。
それをヒョイと持ち上げると、
「豆大福」は少し扁平しただけで、
ほぼ姿を変えずに中空へ浮かびあがる。
その際も片栗粉は忠実に職務を全うし、
霧雨を思わせる程度に落ちただけだ。
その感触と共に中の餡子が動き、
沈み込んだ指先に柔らかさを伝える。
餅も餡子も十分柔らかいが、
全体に思ったよりも身持ちは確かだ。

一口齧り付くと想像以上の柔らかさだ。
押し込まれた餅は餡子を押し退け、
「豆大福」の真ん中にクビレが出来る。
端々では赤エンドウ豆が噛み潰されては、
その硬い歯応えで存在感を誇示してくる。
一気に伸された餅が前歯で切り裂かれると、
難なく「豆大福」は二つに分断される。
口の中に納まりべたっと広がる餅からは、
徐々に濃厚なアズキの風味が沸き立つ。
噛み口を見ると豊富な水気を含んだ餅は、
外見からの色味に対して意外に薄かった。

やがて這い出す様に餡子が舌の上に乗ると、
瞬く間に上品な甘さを染み渡らせる。
瑞々しい食感の中からはアズキの粒が、
コロコロと舌に転がり姿を見せる。
柔らかく仕上がったアズキは簡単に潰れて、
そこから豊かな風味が発散され、
甘さの中に染み込んで口の中を廻る。

その風味を纏った餅は柔らかな噛み心地を、
口に中の至る所で発揮し始める。
水気も豊富にあって只でさえ伸びる餅は、
餡子の水気を取り込んで更に柔らかくなる。
そうなると最早噛むというよりは、
突くといった感覚に近い食感になる。
そしてやがては伸すという行為に変わり、
餅は極限まで柔らかくなるのである。

一方で赤エンドウ豆はクシクシと砕け、
そこから漂う塩気が口の中へゆっくり広がり、
同時に豆の素朴な風味が密かに加わる。
そのままタフタフと緩く揺蕩うと、
自然に喉の奥へと流れだし、
そのまま胃の中へと流れ落ちたしまった。

駅直ぐに構える和菓子屋は、
神社へお参り前に寄るのに最適であり、
参拝の供を買い求めるも善し、
お供え物を揃えるも善しである。
または、上空を往く旅客機を見上げつつ、
「豆大福」を頬張るというのも、
それはそれで結構オツなモノである。



和菓子司 磯崎家
東京都大田区羽田4-11-7
9:00~19:00
月曜 定休
改札を出たら穴森ふれあい通りを右に進み、踏切を渡った直ぐ。徒歩1分程。