首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

喜田屋【西荻窪@中央本線】

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豆大福(つぶ):140円


西荻窪『喜田屋』の「豆大福」はヘンである。

その見てくれは白い片栗粉のカタマリに黒いシミがついている様な風貌で、
あたかも小さなカマクラを思わせる立ち姿は堂々とし寸分の隙も無い。
ココまでならコレは「豆大福」ですよと紹介すれば、
10人中10人はそりゃそうだと認識するハズのシロモノある。
若干白すぎて反射率は高めだが手に取った感じも掛る重さも、
そしてその大きさも至って普通の「豆大福」である。
しかしこれが一口食べた途端にその認識を疑念で揺さぶっていく。

最初の疑念は早くも歯を立てた瞬間にやって来る。
歯から伝達される感触が想定されたモノとは明らかにかけ離れている。
何せコチとら「豆大福」を食べているというのに肝心の餅の食感が皆無で、
ソコには最早慣れ親しんだ餡の感触がいきなりやって来るのである。
そりゃ「豆大福」だから餡の感触はするが、
でもそれが餅を差し置いて最初にやって来るとは普通思わない。

そんな疑念が湧いたなら人は先ずは食べ口を見る事になる。
するとソコに在るハズの白く柔らかなアレの姿は無く、
薄ら灰青味がかった片栗粉が剥離したその下には、
所々に黒い珠をハベらせて黒いビロードの外套を羽織り、
外光を艶やかに反射する粒餡がさも当然の様にお出ましになる。

もうこの時点で頭の中は疑問符で一杯であるが、
何とか正気を保ち改めて眺める食べ口を眺めた後にふと思う。

餅は何処だ?

そしてよくよく眺めるとその黒いビロードの様なモノこそが、
この『喜田屋』の「豆大福」における餅であり、
ハベらせていた黒い珠が豆餅に混入されている赤エンドウ豆である。
確かに目を凝らせばそこにはシッカリと極薄の膜みたいな餅に、
赤エンドウ豆がちゃんと閉じ込められているのが判る。
しかし薄すぎる餅は餡との融合を果たしその境界は曖昧になり、
それ故に餅自体の個性や風味を得るのが難しい事になっている。

しかしそうなるとソコは赤エンドウ豆の独壇場となる。
塩味の利いた柔らかな豆の感触が表面の至る所で味わえて、
その上で餡の甘味を引き立てる存在となり「豆大福」全体を引き締める。
ココまで来るとその印象はアンコ玉を支える丸足の突起の様で、
全体的には理科の教科書にあった分裂を10回位行った細胞を思い出す。

そんな最中にふと気づく。
この薄い膜の如き餅でよく餡を保持しているなぁと感心する一方で、
ソコに内包されている餡自体の見逃せない存在感に。

何せこの餡がまたクセ者であった。
結構瑞々しく滑らかなので水気は十分ある。
しかしこの薄い餅を食い破る様な荒事は起こさない紳士的態度で、
甘さも爽やかでイヤなクドさも無いアズキの風味に溢れた当たりの良さ。
そんな所を感心して再び食べ口を見ると襲われる小規模のdejavu。

さっきから食べ口で形成されている餡の姿に一分の変化が見られない。
それはまるで粘土細工の様な変化の無さと強固さであり、
伸びて落ちて行く薄い餅をヨソに何時までもその姿を保持し続けている、
云わば一流の美術モデルの様な揺るぎ無い一貫性を感じる。
この餡あってこその薄い餅である事が伺える特長といえよう。

豆大福は餅が主役であるという立ち位置で見れば大層にヘンテコではあるが、
しかし『喜田屋』の「豆大福」はコレで完成された、
云わば「豆大福」が到達した究極のひとつであると認識する。

まぁ見方を変えればこの餅は十分にその存在感において主役であるとは思うが、
どうしても分厚い豆餅でこの身持ちの堅い餡を食べてみたいときは、
同店で売られている“豆餅”を併せ購入して独自で堪能するのも手である。




喜田屋
東京都杉並区西荻北3-31-15
9:30~20:30
月曜 定休
北口に出たら西荻窪駅前交差点から、にしおぎ北銀座街のアーケードを進んだ先の徒歩約3分。