首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

菓匠 京右近【吉祥寺@京王井の頭線 中央本線】

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塩豆大福(つぶあん・こしあん):210円


結論から言えば「菓匠 京右近」の「塩豆大福」は“つぶあん”“こしあん”ともに、
「塩豆大福」としては大変控えめなしょっぱさである。
その代わりと言っては変だが凄くゴツゴツしていて、
約58㎜の大きさを収めたビニール袋越しからも大量の赤エンドウ豆の存在が窺える。

在るモノは餅の奥深くへと埋没して表層へ影をボンヤリと映し、
また在るモノは薄く伸びた餅を纏い表層へその存在を露わにし、
そして在るモノは単に表層部にペタリと付いている様に見える。

その存在感は餅の白さを侵食する程であり、
もしや「菓匠 京右近」の「塩豆大福」って青いんですかと錯覚させる。
当然そんな事はある筈も無くビニール袋から取り出した「塩豆大福」は縞瑪瑙の様に白く、
その表面には細かな起毛の様な片栗粉がうっすら塗されている。
しかしその滑らかな指触りの表面を持って摘まんでみると、
想像以上にゴツクて雄々しいと云う事を知る。
真っ先に伝わる赤エンドウ豆達の硬い触感は狭い指の腹に複数当たり、
その赤エンドウ豆の硬さを誇示してくる。
一方赤エンドウ豆を避けて触れた餅はシッカリとしたハリを持ち、
自身のみでも十分に己の形状を維持できる保持力を発揮していた。
この赤エンドウ豆が指先を捉え確実にグリップしホールドする様は、
さながら指先で「塩豆大福」に行うボルダリングである。
人と「塩豆大福」はお互いを支えながら中空で絶大な安定感を生み出す所を、
そのままパクリと横っ腹から齧り付いて行く。

当然ソコでも存在感を発揮するのはゴリゴリの赤エンドウ豆である。
餅の弾力を感じる暇がないくらいに齧り付いた途端、
無数の赤エンドウ豆達が「塩豆大福」のあらゆる場所からゴツゴツした感触を伝え、
そして直ぐにそれはガリガリという音を発て次々に噛み砕かれ潰されていく。
破れた赤エンドウ豆の種皮からこぼれ出た子葉部分からはほんのり塩気と、
乾いた風味が枯れた風合を醸し出し口内へと薫り、
そのローストしたような風味とあいまって“豆おかき”の様な趣を生む。

一方で咀嚼の魔の手を逃れた他の赤エンドウ豆は、
口内の至る所にその硬い己自身を包まれた餅越しからでも容赦無く打ち付ける。
均等に厚めで周りを覆う餅は断面を埋め尽くす光沢の粒が大きく、
まるで電光掲示板の様に断面を流れて行く。
そしてその弾力は強く噛み応えも抜群であり、
ここでもほんのりと塩気が漂うが直ぐに米の持つ甘味と風味が伝わって来る。

そんな中で荒々しく振る舞う赤エンドウ豆を優しく支えるもう一つの存在が餡である。
しかしこの餡は当然“つぶあん”と“こしあん”では全体に与える影響は大きく異なり、
中に“つぶあん”が入っている場合は餡は何処までも控え目で奥ゆかしい。
アズキの風味と丸い粒が残る位に丁寧に仕上げられ、
抑えた甘さとほんのり漂う塩気の均衡を保持しながら押し出された“つぶあん”は、
ボテリとした舌触りながらホロホロとした食感で口内の水分と瞬く間に融合。
今だ勢力を維持する赤エンドウ豆と餅の間へスルスルと入り込んで互いを結束し、
全素材共通の香りである塩気を同調させて、
「菓匠 京右近」の「塩豆大福」を形成し速やかに終焉させる。
なかなか慎ましやかな“つぶあん”である。

一方の“こしあん”は少し趣が変わる。
自身はネットリとした質感と滑らかな舌触りが見事に融合した姿で、
淡い色ながら高い粘度を発揮して意外にシッカリした甘さを口内に塗り込める。
この高粘度が口内の水分との融合進度を鈍らせ何時までも緩くならず、
初期性能のまま赤エンドウ豆や餅に絡まって来る。
そこに己の風味を存分に充満させて最後にお気持ち程度の塩気を発露させ、
「菓匠 京右近」の「塩豆大福」を形成つつその存在を深く刻み込んで終焉させる。
なかなか強かな“こしあん”である。



菓匠 京右近
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-14
10:00~19:00
水曜 定休
中央口から出たら五日市街道へ向かいヨドバシカメラの先を右折。進んだ先の十字路を左折した図書館の正面。