首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

縫月堂【人形町@東京メトロ日比谷線 都営地下鉄浅草線】

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豆大福(つぶあん):170円


人形町「縫月堂」の「豆大福」は真っ白である。
約60㎜の大振りな身体をビニール袋に収めた姿は店頭に居ても一際輝きを放ち、
間近で見ればその表面からは餅の存在を確認する事が出来ない程に片栗粉が覆ている。
そんな分厚く塗された片栗粉はビニール袋の中でバラバラ剥落する事も無く、
数個の赤エンドウ豆が薄墨を垂らした染みの様なボンヤリした陰影を、
キラキラ細かな輝きを放つゲレンデの様な表層に浮かべている。
その巨大な“ブール・ド・ネージュ”の様な小振りの雪玉的「豆大福」を、
慎重にビニール袋から取り出そうとそっと摘まんでみると、
当然ゴツゴツと固い訳でもヒンヤリと冷たい訳でも無い「豆大福」の感触である。
触れた部分から次々に剥落を始める片栗粉の雨を避け見据える「豆大福」からは、
指先が片栗粉へ沈んでいくザクッっとした感触と共に、
ズシリとした重さとフンワリした触感をした餅のハリが次々と伝わって来る。
そして連鎖的に剥離を始めた片栗粉の下からやっと姿を現した餅の表面は、
キメが細かく指の腹にシックリと密着してくる。
その柔らかな餅が自重に押され片栗粉同様に剥落する前にサッサと齧り付き、
既に真っ白な降雨後が広がる机の上に更なる追い打ちの一降りをもたらす。

ブニャリとした食感と共にバフンと天花粉を叩かれた様に片栗粉が口一杯に充満すると、
片栗粉でコーティングされた口内へ半身を移し餅は簡単に分断される。
柔らかで何時までも伸びている事の出来る粘りもあり、
程よい厚さで粒餡を包む餅まさに“餅”というモノの“モチ”としった、
言語的な音感の部分を再現した正調的“餅”といえる。
噛み口では水気の煌めきが膜の様に断面を覆い、
今にも滴り落ちそうな水分を保持しているのが見える。
改めて餅をこねる事が出来る場所になった口内を柔らかな食感がたちまち覆い付くし、
ソコにほんのりと漏れ伝わる甘い風味とモコモコとした丸い感触の存在感が競演する。
やがて口内の圧に押し出される様に溢れた来た餡が怒涛の勢いで押し寄せると、
たちまちその濃厚な甘さを舌の上に侵食させ始める。

シャキシャキとしたアズキの皮が醸し出す食感と、
シッカリとした甘さながらもスッキリとキレの良い甘さが広がる、
滑らかな舌触りの奥にあるフルーティな味わいが後味にほんのりアクセントを持たせる。
その甘さを覆う様に柔らかさに拍車を掛けた餅が、
ドロンと覆いかぶさって来る所を二つ纏めて一気に咀嚼をしてやる。
すると柔らかな餅と滑らかな粒餡の両者共々自在に姿を変えて、
口内で刻々と変化する圧力を受け流し対抗を見せる一方、
内包された赤エンドウ豆は餅に絡まれ機動力が弱まりやがて進退窮まる。

アッサリ捕縛。
その後に咀嚼。

硬い種皮をゴリゴリと砕くとソコから一気に放出する赤エンドウ豆の濃厚なコクが、
甘さに浸って甘露の海にたゆたっていた舌に鮮烈な一撃を加える。
コクに甘さ、そしてアクや苦みといった赤エンドウ豆が持ち得る全ての風味が、
この赤エンドウ豆本来の立ち位置といっていい“野菜”の側面が強烈に主張して、
それが「豆大福」という“菓子”に違和感なくシッカリ融合している。
そもそも「豆大福」を構成する全ての素材は“野菜”なので当然なのだが、
次々に散って行く赤エンドウ豆達が発する野趣溢れる濃厚なコクが口内を満たす頃、
更に柔らかく変容した餅と粒餡が咀嚼の隙を縫って赤エンドウ豆を攫って行く。
そのまま自身の一部にする為その風味もろとも融合を果たし、
食感と風味の渦となってやがては胃袋へと嚥下されるのであった。

赤エンドウ豆の“野菜”が薫る「縫月堂」の「豆大福」を噛み締めつつ、
何処かにアズキの“野菜”やモチ米の“野菜”が立った「豆大福」は無いモノかと探りつつ、
砂糖の“野菜”性たる黒糖を使った「豆大福」辺りは何処かにアリそうだなと夢想してみる。



縫月堂
東京都中央区日本橋人形町2-7-10
9:00~20:30
日曜・祭日 定休(節句、彼岸は営業)
A3出口から出たら右折して進んだ二つめの右折路の手前。