首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

山長【亀戸@総武本線】

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豆大福(つぶあん):130円


52~3㎜で上から見たらまんまるな形をしている「山長」の「豆大福」は、
そのまんまるの中に小粒の赤エンドウ豆が点々と散らされた姿をしている。
表面に塗された片栗粉は薄く下からは「豆大福」が湛える淡い白磁の色合いが透けて見える。
片栗粉に走るひび割れや折り重なってマチマチに形成する層が見せる様や釉薬を思わせ、
所々で姿を見せる赤エンドウ豆は曜変にある星の様な斑文的であり、
ソレに覆われた「豆大福」から醸し出される風合はまさに国宝級の陶芸品に備わったソレである。
そんな良いシゴトが成されている「山長」の「豆大福」は個別で薄いビニールに密封されていて、
その美しい姿を崩してしまわないように慎重に封を解いてツイッと指で摘まんで持ち上げると、
カサッと微かに鳴る片栗粉の感触とソレを越して伝わる餅の表面を取り巻く乾いた指触りは、
一層に陶芸品の雰囲気を増幅させていくが、
最前線で対峙する指先自身は程々に餅の中へと沈み込んでその乾いた質感に優しく覆われている。
コノ柔らかさはやはりコレは「豆大福」で間違いナシと大して重要でもない確認事項を済ませ、
その追証と云わんがばかりの底面に潜んだ赤エンドウ豆からの、
ネットリトした融解をその指先に感じ急いでその横っ腹へ一口齧り付いてみる。

真っ先に触れる唇に伝わるのはサラリとした片栗粉と、
ツルリとした餅の感触で驚く程に餅っぽく無いのだが、
一転噛み千切ろうとすると途端に発揮する強靭な弾力と、
噛み千切られた後に口内に納まった時に伝わるシットリと舌を覆う感触も、
その後に咀嚼を開始すると顎へ跳ね返す反発力も、
おそらくその全てに於いて本邦の人間が想像し思い描く“餅”が体現した姿といえ、
それ程に一分の隙も無く“餅”である。
噛み口を見るとイビツな厚みで内包している粒餡を包み、
潤いはキラキラとした光沢を発する事で体現して、
その表層を覆う感触から想像できる以上のハリと、
そのハリから窺い知れない程に強い粘りを有し、
隙を見ては唇へペタリと引っ付いて来るし、
ソレを取り纏めてクニクニと噛み締めると米の風味も満載と来ている。

そんな“THE 餅”的空間からユルリと這い出てくる粒餡も、
粘り気がありながらも甘さにはしつこさが無くサッパリとした味わい。
アズキの風味も濃厚でネットリした舌触りもやがて水分を含、
み緩く融解を果たし滑らかな食感へ変わる。
そして餅に対しては絡まるというよりも寄り添うといった感じで並走して口内を駆け抜ける。
その際に口内のアチコチにコツコツと当たる赤エンドウ豆は、
終ぞ止む事の無い咀嚼の雨の中で翻弄される餅の中で巻き添えを食う形で、
次々とブシブシと潰されて粉みじんになってしまうのであった。
程よく硬い種皮は砕けた途端に主張を控え、
その代わりに子葉部分からにじみ出る様な濃密な風味は、
赤エンドウ豆というよりは“芋”の様な風味で、
なのでほんのりとした甘味も舌の上に滲んで広がって行き、
ソコに赤エンドウ豆が持つ“野菜”の部分を強力に感じる事が出来る。

そしてその間も餅の弾力は豊かな弾力は維持されながら、
餅、粒餡、赤エンドウ豆と三位一体となった「豆大福」を、
フクフクとした食感を堪能しながら次々に口へと放り込みクニクニと噛み締める。
こぼれ落ちる片栗粉の少なさとその割に口内でカサカサと触りが良いその存在感に感心しつつ、
尽きる事の無い咀嚼運動に勤しむ至福の一時。
しかしある程度の時を経れば程々に柔らかく変容して、
その頃には引き寄せられるように知らず知らずの内に胃袋へと堕ちて行く。
その全てが餅の意志の様でもありプログラムされた本能の様でもあり、
このまんまるくて静謐な姿を湛えた餅菓子に支配された事の様に思えて来るのである。


山長
東京都江東区亀戸3-60-21
7:00~20:00
火曜 定休
北口から出て明治通りを亀戸天神方面へ進み亀四丁目交差点を渡り左折。そのから少し進んだ先にある香取神社の参道入り口脇。