首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

石ざか【府中@京王線】

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豆大福(つぶあん):130円


府中『石ざか』の「豆大福」は約60㎜のドーム型をしている。
その表面には小さなスパンコールが貼り付いた様な、
キラキラ光を反射する片栗粉が塗されている。
その下ではほんのり黄色味を帯びた餅の醸し出す透明感は、
まるで霜が張った窓ガラスの姿に見える程に澄んでいる。
しかし、この『石ざか』の「豆大福」に対する、
個人的印象は“黒い”である。
白く輝く片栗粉や透明感を湛えた餅であっても、
拭い去れないこの“黒い”印象はと考えたなら、
それは「豆大福」の表面全方向に確認できる、
赤エンドウ豆の仕業であると断言できる。

ある豆は埋もれ影となり、
またある豆は半分だけ外へ飛び出し、
そしてある豆はもはや餅に乗っているだけである。
土台となる“大福”の至る所からボコボコと突出する様は、
不意に寺院の梵鐘の“乳”を連想させるものがある。
それ程までに『石ざか』の「豆大福」には、
大量の赤エンドウ豆が存在している。

だがいくら赤エンドウ豆自体に比較的黒味が強いとはいえ、
和菓子の“かのこ”みたいな一面に隙間なくと云う訳では無い。
豆同志には隙間はあり餅の姿もシッカリ確認できるし、
中の餡子が浮かび上がって明度や彩度を減退させている訳でもない。
何より表面には片栗粉がしっかり塗されていて、
おまけにかなりの光を反射している。

なのに“黒い”のである。
その黒を纏った「豆大福」を摘まんでみれば、
当然指先には只でさえ存在感溢れる豆の、
丸くてゴツゴツした感触がハッキリと伝わる。
その豆と指との間では片栗粉がサラサラと流れ、
心地良い指触りを演出している。
そのまま摘まみ上げると全体に確かなハリが行き渡り、
当初からの姿を崩す事無く指の間で安定して見せる。
僅かに沈み込んだ指先はシックリと餅で覆われ、
寄りかかる様に程よい重さを乗せて来る。
それをそのまま口元まで運び、
横っ面からパクリとヒトクチ齧り付いてみる。

餅は分厚くしっかり水気を湛えているが、
とにもかくにも噛んだ時の弾力がとても強い。
ブチリと何か太いモノを断裁する様な食感と、
クニクニとガムを噛み続ける感覚に近い噛み応えは、
口の中で水気を得てからもしばらく続く。
その後にネットリと粘りがでると、
塩気と米の風味が優しく漂い始める。

その餅が包む餡子は塩気を含んだ優しい甘さで、
アズキの風味が濃厚に詰まった粒餡だ。
そのアズキは粒立ちが良く食感も鮮やかで、
奥歯の間でアズキの皮がサクサクと軽快な音を発てる。
水気は少な目で粘り気がありモッタリとした舌触りは、
硬めの餅に緩やかに纏わり付いてシッカリ絡み付いて来る。

しかしそれら全てを凌駕して声高に主張するのは、
表面に数多貼り付いた赤エンドウ豆達である。
最初にペタリと触れた唇に触れる豆。
ガッチリ食い込んだ前歯にあたる豆。
ブチリと噛み千切った顎に砕ける豆。
スッポリと入った口の中に感じる豆。
つまり何処も彼処も至る所で豆。
豆、豆、豆。

シットリと舌に滑らかな触感で弾力の強い餅を噛み千切る時にも、
噛み口から漂う餡子の豊かなアズキの風味と素朴で優しい甘さにも、
それら全ての感覚や風味に赤エンドウ豆の食感が寄り添ってくる。

モグモグ食べ続けると終始感じる赤エンドウ豆の歯応えは、
只でさえ噛み応えが強い構成の「豆大福」に、
更なる圧倒的な歯応えを加えてくれる。
そsてそれは最初の一口目から最後に飲み込む時まで、
尽きる事の無く満喫できる訳である。

コシが強い“餅”とモッタリ粘度が高い“餡子”に硬く仕上がった“豆”。
この史上最硬の食感を演出する「豆大福」の存在は、
ここ最近食品関係に広がる“やわらか系”への対抗と成り得るだろう。
そして噛む事をしなくなった近代日本人に対し、
噛む事への意識の植え付けを促す有難い存在となるであろう。



石ざか
東京都府中市宮西町3-16-2
9:00~17:00
不定休
南口かけやき並木を大国魂神社に向け進み、2本目の右折路へ入り真っ直ぐ進んだ先。府中駅から567m。