首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

マルヤ和菓子店【中神@青梅線】

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豆大福(つぶあん):130円


簡単に紹介すると「マルヤ和菓子店」の「豆大福」はデカい。
70㎜に届きそうなその平べったく伸された外見は、
至る所から大粒の赤エンドウ豆がボコボコと姿を現わしていて、
その上から覆い隠す様に結構大雑把な感じでふんだんに片栗粉が塗されている。
というかもはや盛られていると表現した方がシックリくる位で、
表面に在るのは片栗粉というよりは片栗小玉であり、
大雪原を思わせる「豆大福」の表面に小さな雪だるまが密集して寄り添い合っていて、
岩山みたいな赤エンドウ豆と合わせてそれはちょっとしたジオラマとなっている。
そんな岩山の山頂では現在雪解けが始まっていて、
岩山から染み出た水分が表面の餅と片栗粉を融かしキラキラと光沢を放っている。
なので急いでその大きな白い竜田揚げか飾り付き化粧パフの様な「豆大福」を手に取ると、
先ずはキシッとした片栗粉と融解した餅のネチャッとしたの感触と、
そして意外にこの巨躯でありながらソコまで重くない質量が伝わって来る。
その意外さに気を取られていると「豆大福」は中央部から徐々に垂れ下がり始める。
餅のハリは弱めの様でその柔らかな感触は少しの抵抗を試みる事なくズズズと指を覆い、
放っておくと手を覆てしまいそうな感じなので急いで齧り付いてみる。

先ずはパフッと口に含んだだけで、
滝の様に一斉に零れ落ちる大量の片栗粉がテーブルを覆い尽くす。
ソレを眺めながらハムッと力を込めて噛み締めると、
ソコに何かがありますよというチョットした意思表示だけで「豆大福」は真っ二つに分断される。
そのうち口内へと堕ちた方をクニクニと咀嚼し始めると、
ソコには過去に類を見ない明らかに異質な食感が伝わって来る。
この「マルヤ和菓子店」の「豆大福」からは最初から餅と餡の境界が感じられず、
当然残った片側を見ればその断面には白と赤紫トコロにより赤茶色といった、
素材によっての差異が見て取れるのだが今口内に居るヤツからは、
ハッキリと固くて丸くコロコロと舌を転がる赤エンドウ豆は別にして、
他の2つからはそれを感じる事が無いのである。

その餅自体は厚みは程々ながらその触感の驚異的な柔らかは、
クイッと引っ張るとその影響は全体に万遍なく伝わって、
餅同士の結束力が異常に低いのか綿菓子を引き千切る様に、
全体でバツッと分断されるこの食感は“蒸しパン”に近い食べ応えであり、
ソレをクニクニ噛み締めるとほんのりと塩気も漂って来る。
そして「マルヤ和菓子店」の「豆大福」が赤エンドウ豆が表面に出ているのは、
コノ柔らかすぎて結束もママならない餅による処が大きく、
そりゃ自身に加えて異物である赤エンドウ豆まで保持できる訳がないと納得する一方で、
その赤エンドウ豆自身は塩気と自身の風味とがバランス良く漂ってきて、
グシグシと潰れ砕ける感触と共にこの柔らかな餅の中で、
抜群の存在感と絶妙のアクセントをもたらす名脇役となっている。
とはいえその感覚はこの強大でありながら柔らかな空間の前では、
ほんの僅かな幕間の余興といった風情に止まり、
いつしかその境界の喪失は味覚へと侵食を始め一瞬にして口内を甘味が覆い尽くす。

ネットリとした舌触りではあるが水気は少なく、
そこにアズキの風味と甘さが濃縮された様に香って来る粒餡ではあるが、
甘さ自体は後味はスッキリとキレが良いのでクセが無く、
濃厚な舌触りも口内の水分を受けて緩く変質を果たして滑らかになる。
そうなって来るともはや餅と餡の識別などは些末な事と成り果てて、
時々頬の内側を叩く赤エンドウ豆を噛み潰しながら、
口内に充満する甘く柔らかなソレをモゴモゴと噛んで伸ばして転がして、
何時しか大人しくなってその甘く柔らかな中へと取り込まれた頃を見計らい、
柔らかなカスミを飲み込む様にしてゴクリと胃袋へと収める。

コノ柔らかなカタマリを維持するためのアノ片栗粉の量だったのかと、
もう片方を口へ放り込んでモゴモゴと咀嚼を始め、
更に口角から零れ落ちる白い軌跡を追った先にある、
眼下を真っ白に覆い尽くした片栗粉を見遣りながら思うのであった。






マルヤ和菓子店
東京都昭島市朝日町1-1-11
南口へ出て右手へ進んだ先の直ぐ。