首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

和菓子司 磯崎家【穴守稲荷@京急空港線】

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豆大福(つぶあん):150円


穴守稲荷『磯崎家』の「豆大福」は、
ビニール袋に大きく“福”と記された、
自他ともに認める“福菓”である。
その“福”の合間からチラチラと、
「豆大福」の白と黒が見え隠れしている。

先ずは全体を見る為に、
袋から取り出す事を始める。
そっと手に取った「豆大福」は、
ビニール越しでも大変柔らかい。
十分な重さが指先にのしかかり、
餅がビニールごと包み込んでくる。
とはいえ袋に餅が貼り付く事も無く、
サワサワ滑らかに納まっている。
なので袋の口を下に向けてしまえば、
スルスル滑り降りて外に出てくる。

それを受け止め改めて観察すると、
大きさ約58㎜のほぼ半球体である。
繭玉の様な外見は白く滑らかで、
毛羽立ったり落ち窪んだりと、
造形の荒々しい所はほとんどない。
裾に少しダブついた所もあるが、
それは餅の柔らかさの証だろう。

表面の片栗粉には淡い模様があり、
それがぼんやり立体的な質感を生む。
加えて周りの光を反射しては、
表面に細かい煌めきを纏わせる。
餅自体の色味は少し灰色掛かり、
水気を感じさせる潤いも湛えている。
一方、片栗粉の白い輝きは餅に染みて、
もはや「豆大福」全体に広がっている。
なので表面に射す灰色が、
餅の色なのか片栗粉の影なのか、
少し見た位では見分ける事が出来ない。

その白に点々と散る赤エンドウ豆は、
「豆大福」の表面に幾つも小山を作る。
餅を押し上げる黒く丸い姿は、
磨りガラス越しで見ている感覚に近い。
とはいえその感覚を作るのは、
赤エンドウ豆が盛り上げる餅ではない。
当然全体に及ぶ片栗粉の白い光沢が、
赤エンドウ豆の色を淡くするのだろう。

指で摘まんだ餅はやはり柔らかい。
新雪の様に窪んで指先をとらえ、
そのまま優しく纏わりついてくる。
それをヒョイと持ち上げると、
「豆大福」は少し扁平しただけで、
ほぼ姿を変えずに中空へ浮かびあがる。
その際も片栗粉は忠実に職務を全うし、
霧雨を思わせる程度に落ちただけだ。
その感触と共に中の餡子が動き、
沈み込んだ指先に柔らかさを伝える。
餅も餡子も十分柔らかいが、
全体に思ったよりも身持ちは確かだ。

一口齧り付くと想像以上の柔らかさだ。
押し込まれた餅は餡子を押し退け、
「豆大福」の真ん中にクビレが出来る。
端々では赤エンドウ豆が噛み潰されては、
その硬い歯応えで存在感を誇示してくる。
一気に伸された餅が前歯で切り裂かれると、
難なく「豆大福」は二つに分断される。
口の中に納まりべたっと広がる餅からは、
徐々に濃厚なアズキの風味が沸き立つ。
噛み口を見ると豊富な水気を含んだ餅は、
外見からの色味に対して意外に薄かった。

やがて這い出す様に餡子が舌の上に乗ると、
瞬く間に上品な甘さを染み渡らせる。
瑞々しい食感の中からはアズキの粒が、
コロコロと舌に転がり姿を見せる。
柔らかく仕上がったアズキは簡単に潰れて、
そこから豊かな風味が発散され、
甘さの中に染み込んで口の中を廻る。

その風味を纏った餅は柔らかな噛み心地を、
口に中の至る所で発揮し始める。
水気も豊富にあって只でさえ伸びる餅は、
餡子の水気を取り込んで更に柔らかくなる。
そうなると最早噛むというよりは、
突くといった感覚に近い食感になる。
そしてやがては伸すという行為に変わり、
餅は極限まで柔らかくなるのである。

一方で赤エンドウ豆はクシクシと砕け、
そこから漂う塩気が口の中へゆっくり広がり、
同時に豆の素朴な風味が密かに加わる。
そのままタフタフと緩く揺蕩うと、
自然に喉の奥へと流れだし、
そのまま胃の中へと流れ落ちたしまった。

駅直ぐに構える和菓子屋は、
神社へお参り前に寄るのに最適であり、
参拝の供を買い求めるも善し、
お供え物を揃えるも善しである。
または、上空を往く旅客機を見上げつつ、
「豆大福」を頬張るというのも、
それはそれで結構オツなモノである。



和菓子司 磯崎家
東京都大田区羽田4-11-7
9:00~19:00
月曜 定休
改札を出たら穴森ふれあい通りを右に進み、踏切を渡った直ぐ。徒歩1分程。

和菓子の店 ながしま【押上@京成押上線 東武スカイツリーライン 都営地下鉄浅草線 東京メトロ半蔵門線】

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豆大福(つぶあん):110円


直径約70㎜と大きな押上「ながしま」の「豆大福」は、
ほぼ丸に近く平べったい形をしている。
造形は表面が全体的にデコボコと波打っていて少しばかりイビツであり、
一見すると一級河川の河原にある丸く平たい石の様である。
とはいえその「豆大福」にしては“剛”の印象が強くなるのは、
表面に貼り付いている片栗粉の姿にも大きく影響されているだろう。
「ながしま」の「豆大福」全体を覆う片栗粉は全体に厚く塗されているが、
所々で剥落が生じていてそこから餅や赤エンドウ豆が顔を覘かせている。
一方の厚く塗された部分は片栗粉が塊のまま、
至る所で浮き上がったり反り返ったりして幾つも毛羽立ちを作る。

片栗粉の白い斑の下は紫水晶色の餅で覆われている。
餅の表面でも赤エンドウ豆の局所的な際立ったコントラストと、
内部の餡子が透けて浮かんだ淡く朧に浮かんだ影が映り模様を描いている。
出っ張った赤エンドウ豆にはタップリ片栗粉が積もり、
埋もれた豆は焦げ茶色の姿をポッカリ浮かべている。
手に取ってみると餅はハリがあって弾力が強く、
硬い所に置いた時にトンッと乾いた音を発する程である。
指先を弾き返す様な反発力と保ったまま少し窪んで、
そのまま平べったい「ながしま」の「豆大福」としての姿を維持し続ける。

一口齧り付いてみると餅特有の粘着力は控え目で、
上下の前歯でブチブチ音を発てて次々に噛み千切られる。
口の中に押し込まれた餅の表面からは硬い豆の質感が、
餅の向こうからもシッカリ伝わり頬の裏側を刺激する。
いわゆる餅的な“伸びる”という行為は想定外の様で、
引っ張ると僅かに伸びるが直ぐに噛み口からどんどん裂けて、
スクッと潔く二つに分断されてしまう。

その間ボロボロ剥がれて胸元に降り積もる片栗粉は思った通り大量である。
当然口に入った片栗粉も大量であり、
口の中で「豆大福」をコロコロ舌で転がせる程である。
食べ始めると片栗粉の粉っぽさの奥に強力な弾力があり、
押し潰すと押し返してくる反発力が見事である。
餅は不均一な厚みで餡子を包み込んでいて、
塗装された壁のように隙が無くキメ細かで密度が高い。
潤いが発する光沢は微粒子状で断面に貼り付いて、
それが一塊となってヌメリとした質感を発している。
ホンノリと塩気が漂うが総じて自然な味わいで、
強い噛み心地を堪能していると米の風味が舌に流れて来る。

一方で押し出された餡子はたちまち甘さと発散して、
アズキの濃厚な風味を充満させて行く。
明るい赤紫色で水気が少ない粒餡は密度が高く粘り気も達者で、
モッタリ重たい口当たりはかなりの食べ応えを実現させる。
アズキの種皮も子葉も滑らかな上に、
甘さの中にキリッと光るシッカリした塩気が、
濃厚なアズキの風味を更に強調させている。

同時にニュルリと口の中にあるありとあらゆる隙間へ入り込み、
水分を吸収して柔らかくなりはじめる。
そのまま餡子と餅は立ち位置を入れ替えて、
口の中で「豆大福」から俗にいう「あんころ餅」へと姿を変える。
餡子に絡まれた餅は暫くの間片栗粉に守られて自慢の弾力を維持していたが、
それに耐えられない赤エンドウ豆が餅の中で次々に砕ける。
ゴリゴリ確かな歯応えで噛み潰される赤エンドウ豆からは、
優しくまろやかな赤エンドウ豆の風味が漂いだす。
それが口の中に充満するアズキの風味に一筋のアクセントを加える。

やがて片栗粉も餡子と同化をして消えて行くと、
餅は水気に晒されながらユルリと餡子に包まれてしまう。
そして水気を得た餅は柔らかさを発揮して餡子と同調し始め、
やがては喉を通り過ぎて胃の腑へと落ちて行く。

天に届く程に高くて白い塔が建つ町にある、
地に近づかんと平たい姿をしたやはり白い「豆大福」は、
幾多の困難を乗り越えてきた東京の下町の歴史を濃縮した様な、
自身の姿を何時までもシッカリ保った強くて濃い菓子でした。


和菓子の店 ながしま
東京都墨田区文花1-1-5
7:30~19:00 
火曜 定休
A1出口から直進。押上駅前交番東の信号を渡り、左へ折れた先にある右折路へ入り更に直進。その先の十間橋通りに掛かる信号を渡った先。

ふるや古賀音庵 幡ヶ谷本店【幡ヶ谷@京王新線】

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塩豆大福(こしあん):180円


幡ヶ谷『ふるや古賀音庵 幡ヶ谷本店』に並ぶ「塩豆大福」は、
約50㎜の大きさで透明の四角い菓子ケースに入れら売られている。

半球体に形作られた表面にビッシリ分厚く片栗粉が貼り付く様は、
剥きかけのゆで卵か白銀のスケイルアーマーを連想させる。
なのでその下にある餅は無数の白い小片に阻まれて、
隙間から僅かに覘く程度にしか確認する事ができない。
その僅かな隙間から伺える餅は少し濃い藍白色を発し、
染み出て来そうな水気を湛えた透明感を保持しているのが確認できる。
その餅と片栗粉の間には丸々とした風貌の赤エンドウ豆が、
餅の上に腰掛けているかの様に其処彼処で外に姿を晒している。
当然餅の中にも赤エンドウ豆は入っていて至る所で小山を作るが、
何しろ分厚い片栗粉のおかげでシッカリ確認が出来ない状態である。
僅かに見える餅に黒い影が浮かぶ箇所もあるが、
それが赤エンドウ豆か餡子かのか判断が難しいい状況下にあるのだ。

先ずはケースの蓋を開ける。
それだけで「塩豆大福」の表面は震え、
表面の片栗粉を剥落させる。
さらにそこから摘まみ上げようとするが、
ケース内にピッタリ収まった「塩豆大福」の周囲に、
指が差せ込める様な大きな隙間が見当らない。
なので半ば強引に指を食い込ませて吊り上げ、
「塩豆大福」をケースから引っ張り出す。
指先にはガサガサと流動する片栗粉と共に、
水風船を彷彿させる驚異の柔らかさを発揮する餅の感触が伝わる。
それは正しくコシやハリを超えた“弾む”指触りで、
とても固体とは思えない質感を湛えている。
しかしだからと言ってコシやハリが無い訳ではなく、
摘まんだ指先シットリ包み込むとそこからは一切の型崩れは無い。
そこから指の腹にシッカリ吸い付いて佇む「塩豆大福」を眼前へ置き、
摘まみ上げた時から終始剥落が止まない横っ腹へ静かに齧り付く。

唇で挟んだ途端に胸元へ片栗粉がバラバラ落ちて積もって行く。
そしてフルフル柔らかい感触が押し当てられるが、
あっと言う間に押し潰されて「塩豆大福」は次第にくびれ始める。
餅自体のハリは「塩豆大福」を守りきる程ではないので、
そのまま唇だけで難なく中身ごと両断される。
歯を立てる暇も無い位あっと言う間に分断された「塩豆大福」は、
柔らかい食感を発揮しながら流れる様に口の中へ納まる。
片栗粉と餅の滑らかな感触とその中身あるコロコロ硬い質感が、
頬の内側で三重奏を奏でて穏やかに主張を始める。
噛み口を見ると餅の質感は当にガラス細工の様で、
断面全体をヌメッとしたたり落ちそうな潤いが覆う。
フルフル震えて粘りに裏付けられた伸びは強固で、
餅全体がグッと伸びて餅全体でプチンと千切れるのだ。

一方で噛み口から零れ出た餡子は至る所に付着して、
そこから撒き散らされたアズキの風味が一瞬で世界を塗り替える。
芯の通った甘さを湛えた漉し餡は水気が少ない締まった食感で、
舌の上のコロンと出て来てそこで水気を吸い上げる。
やがてネットリ柔らくなる餡子から染み出す切れの良い甘さと、
立ち込めるアズキの豊かな香りに触発されて「塩豆大福」の咀嚼を始める。
ムチムチとボリュームを湛えた餅は震える様に潰れ、
そのまま中に仕込まれていた餡子に溶け込み瞬く間に一体化を成す。
餅に取り込まれていた赤エンドウ豆もそのまま引きずり込まれ、
繰り返される咀嚼の中で次々噛み潰されててゆく。
硬めの歯応えだが噛み潰せば直ぐにグニグニ粘りを持った食感になって、
仄かな苦みを含んだコクと豆本来の甘さが塩気を纏って広がる。
やがて細かく砕けた赤エンドウ豆は再び餅に絡め取られて、
そのまま餅と餡子の織り成す空間へ消えて行く。
その後はひたすら漉し餡のネットリした口当たりと、
モッタリ重たい食感が発揮される餡子主体の空間になる。
餅の柔らかさは継続的に発揮されるが、
徐々に水気を得てヒタヒタ舌を撫でる独特な感触へ変わる。
そして十分な水気を吸収してタプタプと口の中に満ちて、
遂には液体まであと一歩という状態までに至り、
やがてはゆっくりと飲み込まれて行くのだった。

とはいえここに至るまでそこまで噛んだ覚えは無く、
突き詰めれば含まれた赤エンドウ豆の数と同程度の範疇だろう。
つまり硬いから噛み砕くという自然の摂理以上の事が起こらない、
挙動が少ない静かな食べ心地がこの「塩豆大福」の真骨頂ではなかろうか。
そんな事を胸の片栗粉を払いながら思うのだった。



ふるや古賀音庵 幡ヶ谷本店
東京都渋谷区幡ヶ谷3-2-4
9:00~18:00
元日 定休
北口を出て甲州街道を左へ進む。左手に現れる六号通り商店街へ入り後はひたすら直進。