首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

龍昇亭 西むら【浅草@東京メトロ銀座線 都営地下鉄浅草線】

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豆大福(つぶあん):100円


釣鐘型に形成した約50㎜のソレは吹雪荒れ狂う屋外へ一晩の間放り出され、
ジッと耐え忍んだ様に白く静謐な上に何処か冷ややかに目の前に佇んでいる。

てな具合に浅草「龍昇亭 西むら」の「豆大福」にはビッシリと粒だった片栗粉が、
餅全体に程々散らされた赤エンドウ豆の黒い影もろとも、
吹き付け塗装を施された様に細かく隆起して「豆大福」全体に貼り付いている。
そっと持ち上げてみる指先に伝わる感触は柔らかい上にハリもあり、
僅かに沈んでその外圧を優しく受け止めつつも、
それ以上の蛮行を一切許さない力強さが指の腹を覆う餅から伝わって来る。

その小さくも凛とした姿の「豆大福」に早速喰らい付けば、
口一杯に餅の食感が伝わった途端ソレに呼応してアズキの風味が広がる。
厚めに粒餡を覆った餅は断面を外気に晒すとソコからキラキラと光沢を放ち
その厚さに裏打ちされたコシは当然強く、
その厚さからの予想に反して意外に柔らかい。
そんな餅の柔らかな感触を繰り返し咀嚼し続ければ、
やがとソコからほんのりと米と塩の風味を舌先へと漂わせ始める。
そして餅の全力が口内を覆う頃にソレと併せてアズキの皮が自己主張を始め、
ポツリポツリとした感触とシャキシャキとした歯応えの応酬が餅と歯の間で始まる。

アズキの存在が食感と風味に存分に発揮さえた粒餡は、
スッキリとした甘さの中にアズキが豊かに香り優しく広がる。
この優しいアズキの風味は餅が咀嚼され度に、
その勢いを増して咀嚼の合間を縫う様にハッキリと浮かび上がり、
餅が醸し出す瑞々しい食感を更に一層際立たせる。
やがて粒餡のサッパリとした甘さが餅と融合を果たすと、
たちまち今まで餅の奥底に隠れ潜んでいた赤エンドウ豆が躍り出て、
咀嚼の嵐に身を投じては次々と砕けてばパチパチと相次いで弾けさせ始める。

大振りの赤エンドウ豆は外も中も柔らかで、
僅かな抵抗を示すだけで容易く潰れ内部から濃厚な野趣溢れる風味を発散する。
そんな事が幾度か繰り返されてていくと口内は次第に変化を遂げ、
赤エンドウ豆が持つ強いコクを孕んだ風味の垣間見せる風変わりな光景が脳裏を掠める。
ソレはまるで根菜が放つアクが強い土のニオイを髣髴とさせ、
その強烈な個性は味覚を司る神経に異質な信号をチカチカと燈し始める。

当たり前の話で「豆大福」を構成するものは植物性食材であり、
粒餡の根源はアズキであり餅の根源は米であり、
そして赤エンドウ豆という素材で成り立っている。
その至極当たり前すぎる事実へと回帰した時に巻き戻される味の原風景を垣間見た時、
ガチガチに凝り固まった既成概念の壁は崩壊して風穴を開ける。
その風穴に半身を突っ込んで覗き見た壁の向こう側には、
“金時豆の甘煮”や“かぼちゃのいとこ煮”や“さつま芋の甘辛煮”等が見える。

確かに体裁として外見上では和菓子としての「豆大福」をシッカリと保っているが、
これは「龍昇亭 西むら」が和菓子屋さんであるという先入観。
もしも何も知らない人物の目の前にこの「豆大福」を差し出し、
コレは老舗料亭が作った八寸なんですよといって食べさせたなら、
きっとその人物は少々甘いがコレはそういうモノなのだろうと思う可能性がある。

製作者の胸先三寸では簡単に「和菓子」が「惣菜」と姿を変える可能性。
今モグモグと食べている「龍昇亭 西むら」の「豆大福」は、
そういう意味でギリ“和菓子”サイドで踏みとどまってい。
しかし限りなく抑えた甘さと素材の持つ本来の植物としての能力が強く、
あと一押しすれば途端にこの白い丸っこい塊はチョット甘い“和食”へ変貌を遂げ、
一歩間違えば朱塗りの椀に盛られた上に葛餡を掛けられ木の芽が乗っかり、
大仰に“小豆の餅真薯”とか命名さ料亭で供され得る風合を湛えた「豆大福」といえる。
という具合にこの白い塊の内側には素材各々の持ち味が凝縮されていて、
今の所は「龍昇亭 西むら」において「豆大福」という舞台の上でその力を発揮している。



龍昇亭 西むら
東京都台東区雷門2-18-11
9:00~20:00
不定休
2番出口から雷門通り沿いにアーケードを進んだ先。約60m。