首都大福東京

TOKYO METROPOLITAN DAIFUKU

首都大福東京

五十鈴【牛込神楽坂@都営地下鉄大江戸線】

f:id:tokio_daifuku:20160523001957j:plain

豆大福(こしあん):205円


神楽坂『五十鈴』で「豆大福」を買う。
ふっくらとまあるい姿が、ビニール袋の中にある。
キメ細かい餅の質感が、ビニール越しでもよく判る。
滑らかな輪郭と、淡い白を纏った姿は、磨き上げた白水晶のようだ。
手に取ると伝わる感触は、綿花の様にふわりと柔らかい。
しかし指先にはズッシリと、芯を感じる重さで圧し掛かる。
そっとビニール袋を傾ける。
中の「豆大福」はゆっくりにじり出して、やがて目の前に現れる。
大きさは約58㎜で、白いツクリタケの様に膨らんでいる。

餅の表面には片栗粉が、ビロードの輝きで塗されている。
それが全体を万遍なく覆い、細かい光沢を放つ。
裾の周りでは厚めの片栗粉が、地吹雪の様に沸き立ち、文様を描き上げる。

白い片栗粉の下には、絹織物の質感を湛えた餅が、ツルリと滑らかな曲線の張りを見せる。
ふくよかなシルエットを支えるのは、この静かな緊迫感なのだろう。
そして乳白色の色に満ちた中には、濃淡様々な影が浮かんでいる。
中心にある餡子の姿は淡く、餅に射す影と区別がつかない。
一方で丸い影の赤エンドウ豆は、「豆大福」に点々と配されている。

餅の中に込められた豆達は、とても自由奔放に散っている。
だが外に出たなら片栗粉を被り、中に沈んだなら餅に覆われ、どれもが白い霞の中に映えている。
白く滑らかな曲面上の豆達は、まるで北海の氷原に映る小島である。
ソコにわずかに滲んだ水気の反射が、冷えた輝きを放つ。

指で摘まむと、表面の片栗粉がツルリと滑る。
捉えようと込められた力を、次々華麗に受け流す。
その下にはツルリと滑らかな餅肌が潜んでいる。
だが掬う様に持ち上げれば、指にもたれ掛りしっくり納まった。
ふんわり優しい指触りは、衝撃を餅の内部から受け止める。
押し付けられた力を、「豆大福」全体で対抗して、指の周りの餅を大きく窪ませる。
指先にシットリ纏わり付く餅は、フルフル瑞々しく震えている。
だが餅にはハリがあるので、ヘコみはするがツブれはしない。
指が離れればすぐに、元のまあるい姿に戻ってゆく。

先ずは一口齧り付く。
唇の間で静かに餅が弾む。
ソレを押さえ込んで、ゆっくり力加えると、餅から強いハリが発揮される。
直ぐに前歯を餅に突き立てると、柔らかな歯応えが包み込む。
カーテンを開ける様に広がる切れ目から、豊かなアズキの風味が広がる。

サクッと分断されて、口の中に転がり込んだ「豆大福」が、頬や歯に密着してゆく。
餅自体は厚さも程々で、均一に覆われている。
水気もタップリで、米の甘さと風味もしっかりしている。
顎を動かしモグモグ「豆大福」を突いてみる。
その動きに合わせて餅が震えると、中の餡子が口の中へ零れ出る。

ゆっくり蕩けて広がる餡子は、舌に触れると味覚を甘く染め上げる。
それが餅に絡まると、餅は更に柔らくなる。
餡子はネットリ強かな口当たりの“こしあん”だ。
ネバリはあるが滑らかなので、舌の上にスッと伸びる。
甘さは上品で抑え目だが持続力があり、アズキの風味も豊かである。

そんな中、豆は硬いまま激変する環境の中、ジッと身を潜めている。
餅が動けば豆も動き、ゴツゴツ硬い感触で頬を撫で上げる。
赤エンドウ豆の風味が豊富で、ほんのり塩気が漂う。
種皮は硬いが中は柔らかく、プチッと弾ける様に潰れる。

咀嚼の嵐を耐え忍び、細かくなっても餅の弾力は失われす、シコシコと心地よい歯応えを奏でる。
すっかり液状化した餡子の中を、細く伸びた餅が回遊する。
ツルンと滑らかな餅の舌触りと、ザラザラと細かく砕けた豆の食感が、
ネットリと質感のある餡子の中で一つになる。

“こしあん”の滑らかな口当たりが、やがて嚥下を促し始める。
そして川を遡るウナギの稚魚の様に、餅は喉を渡り始め、次々胃の中へ飛び込んでゆく。
後には“こしあん”のほのかな残り香が、何時までも漂い続ける。

花柳界の雰囲気が残る神楽坂の、登り切った所で出会える「豆大福」は、粉白粉を湛えたパフを思わせる。
まあるくて愛らしい姿が、文字通りの“半玉”なのは、果たして偶然なのだろうか。
そんな事を、目の前の“半玉”を眺めつつ思うのだった。



五十鈴
東京都新宿区神楽坂5-34
9:00〜19:30
日曜 祭日 不定休(こどもの日、お彼岸は営業)
A3出口から出て大久保通りを右へ進む。神楽坂上交差点を右へ折れて、早稲田通りを進んだ先。

空薫【日暮里@京成本線 山手線 京浜東北線 常磐線 日暮里・舎人ライナー】

f:id:tokio_daifuku:20160515231302j:plain

まめ大福(粒あん):190円


谷中の『空薫』で売られる「まめ大福」は、
薄いビニールで包まれ店先に並ぶ。
光の反射をぬって伺える姿からは、
表に浮き出た黒い豆の姿が良く見える。

先ずはその薄衣を剥ごうと、
そっと「まめ大福」を摘まみ上げる。
小ぶりな割に意外と重たい。
ズシリと確かな荷重が指に掛かり、
中で「まめ大福」がソワソワ動き、
薄いビニールをパリパリと鳴らす。
そっと裏返してビニールを取り払い、
ゴロンと転がり出た所を受け止める。

半球体に近い姿の「まめ大福」は、
大きさが約50㎜と小ぶりな出来上がりだ。
しかしそこに込められた全ての素材が、
躍動感に溢れ「まめ大福」を形成する。
餅の上に散らばる赤エンドウ豆は、
表面に浮き出ては黒々した光沢を露わにし、
餅の中に沈み込んだなら影を淡く映す。
それらが集団を形成するように、
餅の上で寄り合い文様を描き上げる。

その上を覆う片栗粉は全体では薄いが、
豆の周りでは白が濃くなり流動線を描き出す。
それは「まめ大福」の表面を、
赤エンドウ豆が移動する軌跡の様に見える。
一方でそこから離れた場所の片栗粉は、
まるでハドレー循環の様な軌跡となり、
図らずも「まめ大福」上にカルマン渦を作る。

それら現象の足場となる餅は、
薄い灰色できめが細かい。
薄い琺瑯が掛けられた様な質感の上に、
舞い落ちた片栗粉の細かい光沢が散る。
そのまま芯を挿せば炎が燈りそうだ。
とはいえ触れれば餅は当然柔らかく、
しっとり滑らかく指先を包む。
その先に潜む餡子の感触は結構硬い。
餡子と餅から生じる質感の違いは、
天体上の大気圏と地殻の関係を思わせる。
確かな芯を持つ「まめ大福」は、
少しの圧力は跳ね返す位の強度があり、
今も指の間で初対面時の姿を保っている。

齧り付くと餅は緩やかに弾み、
押し潰そうとする力を受け止める。
そして中に潜む密度の高い塊と、
唇の間で伸されて薄くなる。
そこから更に力を加えると、
モリモリ塊を掻き分けて沈下を始める。
やがてトンネルを掘り進む様な感触の中、
ブリッと「まめ大福」は分断され、
伸びきった餅が前歯で千切られる。
この感覚は半生菓子を噛む感覚に近く、
水気が少なく密度が高い事を連想させる。

事実ゴロンと口に収まった「まめ大福」からは、
ネットリ絡み付く質感の餡子は現れない。
その代わりに濃厚なアズキの風味と、
ほのかで上品な甘さがフワッと漂い出す。
舌にポツポツ当たる丸い感触に促され、
舌にペタンと乗った餅を押し潰す。
するとボコッと崩れる様な感触の跡に、
優しい甘さがモッタリと餅を覆い始める。
ソレをモッタモッタと揉み始めると、
動きに合わせてアズキの風味が吹き上がる。
確かに水気は少ないが結束は強く、
しっかした口当たりと食感がある。
それひとつが個の様に纏まり躍動する中で、
細かいアズキの皮が引っ切り無しに舌を掻く。


しばらくすると餡子は水気を得て、
ネットリ強い粘りを発揮して餅と絡まる。
柔軟ではあるがコシが強い餅は、
引っ張ると少し伸びるだけで直ぐに千切れ、
そして噛み続けるとほのかに甘さが滲み出す。

また、餅が餡子と入り混じる中で、
サクサク潰れる丸い塊が何度も現れる。
そこから漂う素朴な味わいが、
控え目な餡子の甘さに輪郭を与える。
コクのある赤エンドウ豆の味わいは、
時折正体を現して甘さの中を駆け抜ける。

加えて餅から発せられる米の風味が、
アズキの濃い風味を一層引き立たせる。
それら全ての素材が伸び縮みを繰り返し、
小分けにされ次々喉を通過してゆく。
そして見る見るうちに小さくなった塊は、
遂に優しい甘さたけを残して、
全てが胃の中へ消えて行ったのだった。

人通りが絶える事が無い有名商店街の、
喧騒から逃れた片隅で出会える、
こだわりの「まめ大福」である。
その小ぶりな姿の中から想像できない程の、
濃縮された「豆大福」が味わえる。
つまり「豆大福」をギュッと圧縮したら、
『空薫』の「まめ大福」になった。
そんな考えに至たらせる路地裏の逸品である。



空薫(ソラダキ)
東京都台東区谷中3-11-12
11:00~18:00
月・火・水曜 定休(加えて不定休あり)
西口を出たら左へ進み、御殿坂を越えて谷中ぎんざへ入る。ゆうやけだんだんを下りて左手にある2本目の路地の奥。目印の看板アリ。

梅園 浅草本店【浅草@東京メトロ銀座線 都営地下鉄浅草線】

f:id:tokio_daifuku:20160508224725j:plain

豆大福(つぶあん):216円


浅草の甘味専門店『梅園』にも、
もちろん「豆大福」は売られている。
パリパリのビニールで包まれたソレは、
厳重に閉じた中に悠々と納まっている。

表面は意外にデコボコしているが、
それが全て豆の仕業では無さそうである。
何せ全体を真っ白な片栗粉を纏って、
豆から餅まで容赦なく覆い隠している。
多少片栗粉が剥がれた所があって、
黒い影が浮かんでいるのが見えても、
それが豆なのか餡子なのか判断しかねる。

ビニールを剥がすために手に取り、
持ち上げてみると意外に重たい。
ズシリと密度のある重みが指に掛かり、
ビニールが尖り指の腹に食い込む。
そっと裏返して慎重に剥がすと、
片栗粉が舞う中「豆大福」は解放される。
平地に降り立った姿は丸座布団の様で、
大きさは大体60㎜位に仕上がっている。

じかに見るとやはり片栗粉は分厚く、
製造過程の跡がハッキリ判る程である。
枯山水の様な筋が幾つも走る表面には、
青味が掛った影が淡く浮かんでいる。
表面のゴツゴツも片栗粉の下に、
わずかに黒いシルエットが浮かぶ事で、
ああ赤エンドウ豆なのかと判断できる。
起伏に富んだ「豆大福」の表面にあって、
庭石の役割となってアクセントを生む。
加えて餅の本来の色味や肌ツヤも見えて、
雪の様な透明感に薄い亜麻色が差す。
その明るい色味が片栗粉の白の中で、
より有機的で艶やかな印象を与える。

摘まんでみると片栗粉が束で崩れる中で、
餅がブリンと震える弾力を発揮する。
指先に触れた感じはとても柔らかで、
包み込む様な緩さがシットリ伝わる。
しかしハリが強いので大きは変形は無く、
当初の姿を何時までも保ちながら、
指の間でひたすら重力に反抗し続ける。

そこからゆっくり口へ運ぶと、
「豆大福」を押し潰す唇を片栗粉が覆う。
その奥で分厚い皮の様な餅が、
弾力以上のハリを発揮して立ちはだかる。
さらに押し込むと餅は潰されずに、
「豆大福」全体が扁平し始め、
あわせて片栗粉が一斉に剥がれ落ちる。
次に歯を立てて餅に切り込むと、
ブチリと小さな音を発てて餅が千切れ、
ゴロンと「豆大福」の半身が転がり込む。

すると直ぐに餅はハリを取り戻し、
口の中で噛み口が広がり始める。
餅の断面は色が濃く灰色が強い。
その中には外から想像できない程、
沢山の赤エンドウ豆が入っている。
厚さはそれ程ではないが、
この濃い色味が弾力の源なのか、
独特の風味を伴ってシットリ輝きを放つ。

やがて一斉に噴き出すアズキの風味と、
粘度の高い餡子が舌の上へ投げ出される。
触れた所からは確かな甘さが広がり、
一気に舌の上に広がり覆い尽くす。
急ぎ餅を咀嚼すると強靭な弾力を発揮し、
中に残った餡子を残らず押し出す。
一瞬で味覚と嗅覚を支配した餡子は、
必死にもがく舌の上で緩やかに伸びた後、
弾み続ける餅に絡まり更に柔らさを得る。

一方、餅の中に潜む赤エンドウ豆は、
優しい食感を伝えながら次々潰れて出す。
弾力があって食感が優しい赤エンドウ豆は、
表面にタップリ皺が出来ている。
ソレをグニッと押し潰した中からは、
ほんのり漂う塩気と素朴な豆の風味、
それにまろやかな甘さがじんわり滲み出る。

今まで豆があった所には次々餡子が入り込み、
その水気で餅の結束へ干渉しはじめる。
やがて柔らかさが極に達した場所から、
次々に餅は千切れて遂には細切れになる。
それが餡子の中に漂いながら、
口の中をスルスル回遊し始めると、
遂には善哉を彷彿させる口当たりになる。
しばらくの間、舌に染み込む餡子の甘さと、
鼻腔を抜けるアズキの風味に身を浸す。
やがて堪らず飲み込もうとする欲求に従い、
コクリと喉を鳴らして「豆大福」を飲む。

その後も濃厚に漂う餡子の甘さと風味が、
少しも変わる事無く能力を発揮し続けている。
さすが創業一六〇余年を誇る老舗の味は、
正しく歴史が紡ぎだし和の伝統食である。



梅園 浅草本店
東京都台東区浅草1-31-12
10:00~20:00
水曜 定休 月2回不定休
1番出口から雷門へ向かい、仲見世通り左手に沿って伸びる小路を進んだ先。