菓子処あかぎ【光が丘@都営地下鉄大江戸線】
「菓子処あかぎ」の「豆大福」は紙の台に乗りビニール包装され、
少し平べったく扁平した姿で卓の上に平置きで並べられ売られている。
そのうちのひとつを優しく手に取り慎重に裏返すと、
ビニールの封を閉じている原材料の表記を見て、
求肥やら餅粉やら澱粉やらトレハロースやら乳化剤やらの有無を確認。
まあ、焼だんご等も売られているのでその辺は推して知るべし。
そうして購入した「菓子処あかぎ」の「豆大福」から、
ビニールを慎重に剥がして紙の台座から手の平へと空中散歩。
平たい胴回りに沿う様に点在する赤エンドウ豆の姿は、
潰れていたりするヤツもあるが大概は丸いシルエットを保ち、
ほぼ餅の中に埋没していて擦りガラス越しの様に朧に映る。
餅自体に粉気は少なく膝や胸元はおろか指先にすら僅かに残る程度で、
そのクセ指に引っ付かない行儀の良い餅に感服しながら、
その横っ腹へと早速一口ガブリ齧り付く。
クニクニとした歯応えの餅はコシも十分で厚さも程々。
その程々さ故にか咀嚼を始める顎に対する反抗は希薄であるが、
やおら調子に乗って無理に引き千切ろうと、
中途半端に引っ張ると思いの外に強固な抵抗を示す。
そこから「豆大福」本体の崩壊への序曲が始まるので注意が必要で、
餅だからビローンと伸びると思ったら多大なしっぺ返しを食らう。
そんな一筋縄ではいかない強者の餅に埋まる赤エンドウ豆は、
その餅に相反する様な大変優しい立ち位置で、
淡い塩気で歯応えもグシグシと容易に潰れる柔らかさ。
唯一皮の存在感だけが舌先を引っ掻いて行く位の、
表面で確認出来る量的な迫力は感じない。
姿はハッキリ見えるが存在自体は儚い陽炎の様な存在。
そんな赤エンドウ豆との出会いの隙を縫って口内に粒餡が入り込む。
シッカリと甘く粘気も高く尚且つ滑らかな舌触りの模範的な粒餡が、
口内のアチコチで甘味を貼り付けては次々に餅と共に喉の奥へ消えてゆく。
アズキの粒が足並みを揃え舌を撫でる様に過ぎ去っていく最中、
その隙を埋める様に少し強めに赤エンドウ豆の食感が舌を掻いて行く。
舌から脳へと伝わり認識している間にサッサとその姿を晦まして行く。
いわゆる「豆大福」という商品にしては豆の主張も穏やかな上、
存在感も控え目ではあるが見た目的には十分に映えた立ち位置で、
何より食べてみれば其処彼処で餅と餡を引き立てている。
そんな豆の存在を観察して探し当てるという愉しみ方は、
まるで冬の釧路湿原でタンチョウを観察しに来た様な趣といえる。
ココ「菓子処あかぎ」の「豆大福」は街の和菓子店で売られる王道の「豆大福」であり、
同店で併せ販売されている「珈琲大福」や「生抹茶大福」といった、
大変風変わりな大福達と並んだ時の比較対象として不動の地位を築いている。
なので「菓子処あかぎ」の「豆大福」は姿こそ「豆大福」でありながら、
食べた時に大仰に豆を突出させず「大福」としての“素”を保ち、
不意に隙を見ては「豆大福」の顔が現れ口内にその食感を感じさせる。
確かに赤エンドウ豆がゴロゴロ入って表面を覆い、
ガリガリと噛み砕いて食べ進める「豆大福」がお好みの方には、
若干物足りなさを感じるであろう事は想像に難くない。
とはいえ「菓子処あかぎ」の「豆大福」はソッチ寄りの代物じゃない。
コチラは住宅街にポツリとある憩いの和菓子屋さんなのであり、
贔屓の客筋は当然ソチラに指向されている方々であり、
日夜行列が出来て売り切れ必至といった殺伐とした空気はお呼びじゃない。
ソコに期待しても仕様無いし第一見た目からしてそんな事は判断し得る訳で、
こういった食べやすい茶菓子的「豆大福」を求めるニーズがちゃんと存在するのである。
菓子処あかぎ
東京都練馬区田柄3-26-9
9:00~19:00
不定休
A1出口からロータリーを越え都道443号を渡り道なりに真っ直ぐ進み、コンビニ前のT字路を左折して進んだ先にある十字路の角。徒歩約16分。